受賞挨拶と朗読 キルメン・ウリベ

受賞作『ムシェ 小さな英雄の物語』(金子奈美訳・白水社)の作者キルメン・ウリベさんから届いた挨拶と朗読の動画を掲載します。
(近日中に字幕をつける予定です)


 

キルメン・ウリベからのメッセージ
金子奈美訳

あらゆる作家、多くの作家は、自分の最初の記憶は何かと自問するものです。たとえば、ロバート・グレーヴスは『さらば古きものよ』という本のなかで、自分の最初の記憶はパレードだと語っています。王室の馬車がロンドン市内を通り抜けていく、そのパレードの光景が、彼の思い出す最初の記憶なのだと。エリアス・カネッティもまた、ある兵士の姿、兵士の軍服の赤い色を、記憶にある最初のイメージとして回想しています。
僕の場合、最初の思い出は視覚的なイメージではなく、聴覚的なものです。なぜ聴覚的かというと、その思い出を、声のざわめき、言葉のリズムや抑揚とともに記憶しているからです。言葉の意味もわからず、言語そのものすらまだ理解していなかったというのに。
漁師だった父が月に一度海から戻ってくると、それは早朝で、僕たち子供は大抵まだ眠っていたのですが、母と叔母と父は三人で台所に集まり、話し込んでいたものでした。僕の最初の記憶は、そのざわめき、そのリズム、その音楽です。僕が思うに、作家はその音楽から、その元々の音楽、リズムから作品を生み出します。そしてそのリズムが、言葉へ、言語へと変化するのです。
翻訳家の仕事は、原書の言語からその元の響きへと接近し、そこから第二の言語へと言葉を運んでいくことです。翻訳者は作品を書き直し、あるいは再創造します。つまるところ、翻訳者もまた作家なのです。だから、訳者の金子奈美さんに、出版社の白水社に「おめでとう」を、そしてあなたがた、読者の皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。どうもありがとうございました。

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受賞挨拶 パトリック・シャモワゾー

受賞作パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ訳・河出書房新社)の作者、パトリック・シャモワゾーさんから届いた挨拶を掲載します。


 

ある作品が丁寧に翻訳されるとき、その作品の言語は、ほかの言語にとって手が届きやすい存在になるだけではありません。
翻訳は、真の意味で二つの言語を関わらせる行為なのですが、そこで関係を持つのは、翻訳という文学言語の錬金術によって伝達可能なものばかりではなく、同時にその明白さの内部そのものに生息する、伝えられない何ものかでもあるのです。つまり、言語の不透明さ、還元不可能なあらゆるもの、すべての差異もまた、翻訳の中で関わりあっているのです。
翻訳者はそのようにして「世界のさまざまな色調を組織化し調和させる」存在です。翻訳者は、光と影を同時に見守る言葉の羊飼いにほかならないのです。
そうしてこの羊飼いは、予測不可能な遭遇や接触のまっただ中でも、ダメージを受けることなく移動を続ける私たちの想像力、そしてその多様性の世話をし続けてくれています。
関口涼子さん、パトリック・オノレさん、そうした歩みの中にある詩の精神を開示して頂いたことを深く感謝しています。

受賞挨拶 パトリック・オノレ

受賞作パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ訳・河出書房新社)の訳者、パトリック・オノレさんから届いた挨拶を掲載します。


日本翻訳大賞、本当にありがとうございました。共訳者としてこの素晴らしい賞をいただくなんて夢にも思っていなかったので、受賞のお知らせを頂いたときには本当に驚きました。

関口さんは『訳者あとがき』で、「この作品ほど、自分が「翻訳者」であろうと意識した作品もなかったような気がします」と書いていますが、僕も、まったく同じ感慨を抱いています。

 『素晴らしきソリボ』を翻訳する作業は、一つの文章を片付けて次に進む、という単純な作業とは全く異なっていました。

 以前に自分が仏語に訳した日本の文学作品、すでに何年も前に翻訳を終え、「箱の中」にしまい込んでいたこれまでの仕事のすべてを、『素晴らしきソリボ』の翻訳作業には総動員させたように思うのです。たとえば古川日出男氏の『ベルカ、吠えないのか?』をフランス語に訳した時、その中の名文句「犬たちよ、どこにいる?」で悩みぬいた記憶が、『ソリボ』の献辞にある、ハイチの歌手のアルティエリー・ドリヴァルの言葉、「おれたちの居場所はどこだ」を読んだ途端、よみがえってきました。ロジックな連想ではないかもしれません。しかし、翻訳という行為自体が、手作業の、そして、理性では片付けられない部分を含んでいるのではないでしょうか。そして、ソリボの素晴らしき言葉は、世界文学が、私たちの誰もが思いも寄らないところまで、自由にかつ複雑に繋がっていることを教えてくれているように思います。

 また、「ソリボ」はクレオール語で「転落、退廃」の意味で、即ち作中人物のソリボ・マニフィークの名前は「素晴らしき転落者」になります。これが、カナダ人の、詩人、作家兼フォークシンガーであるレナード・コーエンの小説の題名『Beautiful Losers』(日本では「嘆きの壁」という題名で出ているようですが)とも重なってくるのは偶然ではないでしょう。さらに、ジャック・ケルアックの『The Dharma Bums』( 邦題『禅ヒッピー』)は、フランス語を経由すると「Les clochards célestes」、「天空の乞食」となり、ここでもソリボと繋がってきます。ビート文学とクレオール文学に手をつながせる、パトリック・シャモワゾーの細部までこだわったパワフルな言葉の力を借りることで、世界は何重にも響き合い、変容し、打ち上げ花火のようにきらきらと舞って、あちこちで物語を繰り広げてくれるのではないでしょうか。

 これからも僕たち翻訳者は、文学の多様性を掘り出し、「島々」の文学の種を移植し花を咲かせていこうではありませんか。

受賞式挨拶 関口涼子

第二回翻訳大賞授賞式はぶじ終わりました。応援してくださったみなさま、ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

受賞作パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ訳・河出書房新社)の訳者、関口涼子さんから、受賞挨拶が届きました。


受賞式挨拶 関口涼子

このたびは、日本翻訳大賞という、愛すべき語り部ソリボにこれほどふさわしいものはない賞を頂き、本当にうれしく思っています。というのも、この、『素晴らしきソリボ』という小説は、それ自体が、作者と翻訳者、書かれた作品と翻訳者の対話としても読めると思うからです。
語り部ソリボが最後に残した言葉を何とか紙の上に残そうとする、「言葉を書き留める者」シャモワゾーの姿は、原文の声をどうにかして自分たちの言葉にまで連れてこようと格闘する翻訳者の作業そのものです。困難な、そして時には不可能な行為だと分かっていながら、それでも、語りを紙の上に写し取ろうとすること。作品の中にもあるように、息が続かなかったり、リズムに欠けていたり、「声に集中すると身体はおろそかに」なり、「身振りがやっと出てくると声は消えて」しまったりしながら、それでもわたしたち翻訳者が「言葉を書き留め」ようとするのは、その声の断片だけでも伝えられることがあると信じているからです。
わたしたちが翻訳する本は、どんな本であれ、翻訳について多くのことを翻訳者に教えてくれますが、その中でも、『素晴らしきソリボ』というこの作品、そして語り手ソリボは、数え切れないほどのことを私たちに教えてくれました。そのうちの一つに、「複数で翻訳すること」というのがあります。
パトリック・オノレさんとの共訳を決めたのは、最初は、一筋縄では行きそうもないこの作品を訳すに際し、クレオール語の会話や技術的な問題を解決するためだったのですが、最終的に、二人で訳すことは、この作品には欠かせない作業だったと実感しています。
何重にも響き合い、変容し、打ち上げ花火のようにあちこちで物語が繰り広げられるこの作品を訳すに当たって、パトリックさんは、「すでに何年も前に翻訳を終え、「箱の中」にしまい込んでいたこれまでの仕事のすべてを、『素晴らしきソリボ』の翻訳作業には総動員させた」と語ってくれました。そして、彼がこれまでに訳した多くの作品、そしてわたしが訳して来た、彼の仕事よりはずっと少ないですが、複数の作品や作家の声を繰り出すことで初めて可能になる言葉があったと、わたしは考えています。さらに、二人で、作品について語り合うことで、一人で考え込んでいるよりもずっと自由になることが出来、また、思い切った試みが可能になった部分もあったと思うのです。
パトリックさんは、『素晴らしきソリボ』は、唐突に思われるかも知れないが、ビート文学とクレオール文学に手を繋がせるパワフルな言葉に溢れている、とコメントしていました。私の方は、ソリボの口上を訳しながら、沖縄の漫談師、小那覇舞天のCDを聴いていました。雑多な言葉を、それこそ総動員することで、やっと紙の上に「写し取る」ことが出来たのではないか、そう思っています。
翻訳者の仕事は孤独なものですが、今回は、二人で訳す、という作業があっただけではなく、訳すにつれて、作品の中に出て来る登場人物の声が部屋の中にこだまし出す、例外的に賑やかな翻訳体験をすることが出来ました。それというのも、わたしたちのこよなく愛する素晴らしき語り部ソリボのおかげであり、わたしは、この賞は、パトリック・オノレさんとわたしだけではなく、ソリボ、そして「言葉を書き留める者」鳥ッ子シャモワゾーの四人に与えられたのだと思っています。
授賞式が終わったら、ソリボにティポンシュの一杯でもおごりに、フォール=ド=フランス、または新宿かもしれませんが、彼の行きつけのバーに顔を出してみたいと思っています。
今回は、本当にありがとうございました。