受賞式挨拶 関口涼子

第二回翻訳大賞授賞式はぶじ終わりました。応援してくださったみなさま、ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

受賞作パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ訳・河出書房新社)の訳者、関口涼子さんから、受賞挨拶が届きました。


受賞式挨拶 関口涼子

このたびは、日本翻訳大賞という、愛すべき語り部ソリボにこれほどふさわしいものはない賞を頂き、本当にうれしく思っています。というのも、この、『素晴らしきソリボ』という小説は、それ自体が、作者と翻訳者、書かれた作品と翻訳者の対話としても読めると思うからです。
語り部ソリボが最後に残した言葉を何とか紙の上に残そうとする、「言葉を書き留める者」シャモワゾーの姿は、原文の声をどうにかして自分たちの言葉にまで連れてこようと格闘する翻訳者の作業そのものです。困難な、そして時には不可能な行為だと分かっていながら、それでも、語りを紙の上に写し取ろうとすること。作品の中にもあるように、息が続かなかったり、リズムに欠けていたり、「声に集中すると身体はおろそかに」なり、「身振りがやっと出てくると声は消えて」しまったりしながら、それでもわたしたち翻訳者が「言葉を書き留め」ようとするのは、その声の断片だけでも伝えられることがあると信じているからです。
わたしたちが翻訳する本は、どんな本であれ、翻訳について多くのことを翻訳者に教えてくれますが、その中でも、『素晴らしきソリボ』というこの作品、そして語り手ソリボは、数え切れないほどのことを私たちに教えてくれました。そのうちの一つに、「複数で翻訳すること」というのがあります。
パトリック・オノレさんとの共訳を決めたのは、最初は、一筋縄では行きそうもないこの作品を訳すに際し、クレオール語の会話や技術的な問題を解決するためだったのですが、最終的に、二人で訳すことは、この作品には欠かせない作業だったと実感しています。
何重にも響き合い、変容し、打ち上げ花火のようにあちこちで物語が繰り広げられるこの作品を訳すに当たって、パトリックさんは、「すでに何年も前に翻訳を終え、「箱の中」にしまい込んでいたこれまでの仕事のすべてを、『素晴らしきソリボ』の翻訳作業には総動員させた」と語ってくれました。そして、彼がこれまでに訳した多くの作品、そしてわたしが訳して来た、彼の仕事よりはずっと少ないですが、複数の作品や作家の声を繰り出すことで初めて可能になる言葉があったと、わたしは考えています。さらに、二人で、作品について語り合うことで、一人で考え込んでいるよりもずっと自由になることが出来、また、思い切った試みが可能になった部分もあったと思うのです。
パトリックさんは、『素晴らしきソリボ』は、唐突に思われるかも知れないが、ビート文学とクレオール文学に手を繋がせるパワフルな言葉に溢れている、とコメントしていました。私の方は、ソリボの口上を訳しながら、沖縄の漫談師、小那覇舞天のCDを聴いていました。雑多な言葉を、それこそ総動員することで、やっと紙の上に「写し取る」ことが出来たのではないか、そう思っています。
翻訳者の仕事は孤独なものですが、今回は、二人で訳す、という作業があっただけではなく、訳すにつれて、作品の中に出て来る登場人物の声が部屋の中にこだまし出す、例外的に賑やかな翻訳体験をすることが出来ました。それというのも、わたしたちのこよなく愛する素晴らしき語り部ソリボのおかげであり、わたしは、この賞は、パトリック・オノレさんとわたしだけではなく、ソリボ、そして「言葉を書き留める者」鳥ッ子シャモワゾーの四人に与えられたのだと思っています。
授賞式が終わったら、ソリボにティポンシュの一杯でもおごりに、フォール=ド=フランス、または新宿かもしれませんが、彼の行きつけのバーに顔を出してみたいと思っています。
今回は、本当にありがとうございました。

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