受賞挨拶と朗読 キルメン・ウリベ

受賞作『ムシェ 小さな英雄の物語』(金子奈美訳・白水社)の作者キルメン・ウリベさんから届いた挨拶と朗読の動画を掲載します。
(近日中に字幕をつける予定です)


 

キルメン・ウリベからのメッセージ
金子奈美訳

あらゆる作家、多くの作家は、自分の最初の記憶は何かと自問するものです。たとえば、ロバート・グレーヴスは『さらば古きものよ』という本のなかで、自分の最初の記憶はパレードだと語っています。王室の馬車がロンドン市内を通り抜けていく、そのパレードの光景が、彼の思い出す最初の記憶なのだと。エリアス・カネッティもまた、ある兵士の姿、兵士の軍服の赤い色を、記憶にある最初のイメージとして回想しています。
僕の場合、最初の思い出は視覚的なイメージではなく、聴覚的なものです。なぜ聴覚的かというと、その思い出を、声のざわめき、言葉のリズムや抑揚とともに記憶しているからです。言葉の意味もわからず、言語そのものすらまだ理解していなかったというのに。
漁師だった父が月に一度海から戻ってくると、それは早朝で、僕たち子供は大抵まだ眠っていたのですが、母と叔母と父は三人で台所に集まり、話し込んでいたものでした。僕の最初の記憶は、そのざわめき、そのリズム、その音楽です。僕が思うに、作家はその音楽から、その元々の音楽、リズムから作品を生み出します。そしてそのリズムが、言葉へ、言語へと変化するのです。
翻訳家の仕事は、原書の言語からその元の響きへと接近し、そこから第二の言語へと言葉を運んでいくことです。翻訳者は作品を書き直し、あるいは再創造します。つまるところ、翻訳者もまた作家なのです。だから、訳者の金子奈美さんに、出版社の白水社に「おめでとう」を、そしてあなたがた、読者の皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。どうもありがとうございました。

受賞挨拶 パトリック・シャモワゾー

受賞作パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ訳・河出書房新社)の作者、パトリック・シャモワゾーさんから届いた挨拶を掲載します。


 

ある作品が丁寧に翻訳されるとき、その作品の言語は、ほかの言語にとって手が届きやすい存在になるだけではありません。
翻訳は、真の意味で二つの言語を関わらせる行為なのですが、そこで関係を持つのは、翻訳という文学言語の錬金術によって伝達可能なものばかりではなく、同時にその明白さの内部そのものに生息する、伝えられない何ものかでもあるのです。つまり、言語の不透明さ、還元不可能なあらゆるもの、すべての差異もまた、翻訳の中で関わりあっているのです。
翻訳者はそのようにして「世界のさまざまな色調を組織化し調和させる」存在です。翻訳者は、光と影を同時に見守る言葉の羊飼いにほかならないのです。
そうしてこの羊飼いは、予測不可能な遭遇や接触のまっただ中でも、ダメージを受けることなく移動を続ける私たちの想像力、そしてその多様性の世話をし続けてくれています。
関口涼子さん、パトリック・オノレさん、そうした歩みの中にある詩の精神を開示して頂いたことを深く感謝しています。

受賞挨拶 パトリック・オノレ

受賞作パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ訳・河出書房新社)の訳者、パトリック・オノレさんから届いた挨拶を掲載します。


日本翻訳大賞、本当にありがとうございました。共訳者としてこの素晴らしい賞をいただくなんて夢にも思っていなかったので、受賞のお知らせを頂いたときには本当に驚きました。

関口さんは『訳者あとがき』で、「この作品ほど、自分が「翻訳者」であろうと意識した作品もなかったような気がします」と書いていますが、僕も、まったく同じ感慨を抱いています。

 『素晴らしきソリボ』を翻訳する作業は、一つの文章を片付けて次に進む、という単純な作業とは全く異なっていました。

 以前に自分が仏語に訳した日本の文学作品、すでに何年も前に翻訳を終え、「箱の中」にしまい込んでいたこれまでの仕事のすべてを、『素晴らしきソリボ』の翻訳作業には総動員させたように思うのです。たとえば古川日出男氏の『ベルカ、吠えないのか?』をフランス語に訳した時、その中の名文句「犬たちよ、どこにいる?」で悩みぬいた記憶が、『ソリボ』の献辞にある、ハイチの歌手のアルティエリー・ドリヴァルの言葉、「おれたちの居場所はどこだ」を読んだ途端、よみがえってきました。ロジックな連想ではないかもしれません。しかし、翻訳という行為自体が、手作業の、そして、理性では片付けられない部分を含んでいるのではないでしょうか。そして、ソリボの素晴らしき言葉は、世界文学が、私たちの誰もが思いも寄らないところまで、自由にかつ複雑に繋がっていることを教えてくれているように思います。

 また、「ソリボ」はクレオール語で「転落、退廃」の意味で、即ち作中人物のソリボ・マニフィークの名前は「素晴らしき転落者」になります。これが、カナダ人の、詩人、作家兼フォークシンガーであるレナード・コーエンの小説の題名『Beautiful Losers』(日本では「嘆きの壁」という題名で出ているようですが)とも重なってくるのは偶然ではないでしょう。さらに、ジャック・ケルアックの『The Dharma Bums』( 邦題『禅ヒッピー』)は、フランス語を経由すると「Les clochards célestes」、「天空の乞食」となり、ここでもソリボと繋がってきます。ビート文学とクレオール文学に手をつながせる、パトリック・シャモワゾーの細部までこだわったパワフルな言葉の力を借りることで、世界は何重にも響き合い、変容し、打ち上げ花火のようにきらきらと舞って、あちこちで物語を繰り広げてくれるのではないでしょうか。

 これからも僕たち翻訳者は、文学の多様性を掘り出し、「島々」の文学の種を移植し花を咲かせていこうではありませんか。

受賞式挨拶 関口涼子

第二回翻訳大賞授賞式はぶじ終わりました。応援してくださったみなさま、ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

受賞作パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ訳・河出書房新社)の訳者、関口涼子さんから、受賞挨拶が届きました。


受賞式挨拶 関口涼子

このたびは、日本翻訳大賞という、愛すべき語り部ソリボにこれほどふさわしいものはない賞を頂き、本当にうれしく思っています。というのも、この、『素晴らしきソリボ』という小説は、それ自体が、作者と翻訳者、書かれた作品と翻訳者の対話としても読めると思うからです。
語り部ソリボが最後に残した言葉を何とか紙の上に残そうとする、「言葉を書き留める者」シャモワゾーの姿は、原文の声をどうにかして自分たちの言葉にまで連れてこようと格闘する翻訳者の作業そのものです。困難な、そして時には不可能な行為だと分かっていながら、それでも、語りを紙の上に写し取ろうとすること。作品の中にもあるように、息が続かなかったり、リズムに欠けていたり、「声に集中すると身体はおろそかに」なり、「身振りがやっと出てくると声は消えて」しまったりしながら、それでもわたしたち翻訳者が「言葉を書き留め」ようとするのは、その声の断片だけでも伝えられることがあると信じているからです。
わたしたちが翻訳する本は、どんな本であれ、翻訳について多くのことを翻訳者に教えてくれますが、その中でも、『素晴らしきソリボ』というこの作品、そして語り手ソリボは、数え切れないほどのことを私たちに教えてくれました。そのうちの一つに、「複数で翻訳すること」というのがあります。
パトリック・オノレさんとの共訳を決めたのは、最初は、一筋縄では行きそうもないこの作品を訳すに際し、クレオール語の会話や技術的な問題を解決するためだったのですが、最終的に、二人で訳すことは、この作品には欠かせない作業だったと実感しています。
何重にも響き合い、変容し、打ち上げ花火のようにあちこちで物語が繰り広げられるこの作品を訳すに当たって、パトリックさんは、「すでに何年も前に翻訳を終え、「箱の中」にしまい込んでいたこれまでの仕事のすべてを、『素晴らしきソリボ』の翻訳作業には総動員させた」と語ってくれました。そして、彼がこれまでに訳した多くの作品、そしてわたしが訳して来た、彼の仕事よりはずっと少ないですが、複数の作品や作家の声を繰り出すことで初めて可能になる言葉があったと、わたしは考えています。さらに、二人で、作品について語り合うことで、一人で考え込んでいるよりもずっと自由になることが出来、また、思い切った試みが可能になった部分もあったと思うのです。
パトリックさんは、『素晴らしきソリボ』は、唐突に思われるかも知れないが、ビート文学とクレオール文学に手を繋がせるパワフルな言葉に溢れている、とコメントしていました。私の方は、ソリボの口上を訳しながら、沖縄の漫談師、小那覇舞天のCDを聴いていました。雑多な言葉を、それこそ総動員することで、やっと紙の上に「写し取る」ことが出来たのではないか、そう思っています。
翻訳者の仕事は孤独なものですが、今回は、二人で訳す、という作業があっただけではなく、訳すにつれて、作品の中に出て来る登場人物の声が部屋の中にこだまし出す、例外的に賑やかな翻訳体験をすることが出来ました。それというのも、わたしたちのこよなく愛する素晴らしき語り部ソリボのおかげであり、わたしは、この賞は、パトリック・オノレさんとわたしだけではなく、ソリボ、そして「言葉を書き留める者」鳥ッ子シャモワゾーの四人に与えられたのだと思っています。
授賞式が終わったら、ソリボにティポンシュの一杯でもおごりに、フォール=ド=フランス、または新宿かもしれませんが、彼の行きつけのバーに顔を出してみたいと思っています。
今回は、本当にありがとうございました。

中間報告会リポート

2016年4月1日に代官山蔦屋書店にて行われた「第二回日本翻訳大賞中間報告会」の様子をテキスト化しました。
登壇者は、第二回翻訳大賞選考委員の、金原瑞人さん、岸本佐知子さん、柴田元幸さん、西崎憲さん。
司会は翻訳大賞実行委員の米光一成さんです。
(※選考委員の松永美穂さんは急病のため欠席しました)

(テキスト化:与儀明子)


12月の本って可哀想

米光 今日は日本翻訳大賞の中間報告会におこしくださりありがとうございます。日本翻訳大賞は、西崎憲さんの「翻訳賞は必要だ」というツイートをきっかけに、去年スタートした賞です。

西崎 そうですね。

米光 クラウドファンディングによる皆さまのご助力のもと、第一回目が行われました。第一回は成功したと言っていいですよね?

西崎 はい。授賞式に300名以上が集まってくださって。

米光 トークイベントあり、朗読ありの授賞式で。翻訳に興味のあるひとのお祭りみたいなかんじ。で、第二回目です。おととしの12月から去年の12月までに出た本を対象に、読者の方から推薦文を送ってもらって。

西崎 そう。対象期間が13ヶ月間です。

米光 なぜかというと、12月の本っていつも可哀想じゃないですか(場内笑)。投票者が読み終わらなくて、入れてもらえない。そこで金原さんが妙案を思いついた。12月だぶってもいいじゃーん。

金原 11月もちょっと可哀想ですけどね。

米光 そうするとどんどん延びちゃうからね。

西崎 一月あれば読めるだろうということで。

米光 で、二次選考対象作品15冊が選ばれて、それを選考委員が手分けして読み、最終選考候補作5冊に絞られました。残った5冊について今ここで話して、選考結果が出ちゃうと、それはね、ちょっと早いだろーってことで。今日は中間報告会として、15冊を取り上げつつ、翻訳について話していけたらと思っています。

ジャンルへの愛があふれてる

米光 西崎さんは、15作のなかで気になった作品はありますか?

西崎 ニック・ハーカウェイ『エンジェルメイカー』(黒原敏行訳/早川書房)とケン・リュウ『紙の動物園』(古沢嘉通訳/早川書房)が印象に残りました。

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落ちてしまいましたけどね。

米光 『エンジェルメイカー』はエンターテインメント長編です。

西崎 黒原さんの訳文は、エンターテイメントとして淀みなく読める。あと、ジャンルを愛しているのがすごくわかる訳なんですよね。ジャンルに対する愛が翻訳に必要かどうかは、ちょっと微妙ですけれど、読んでいて気持ちがよかった。

米光 『紙の動物園』はSF短編集です。

西崎 たいへん評判になってよく売れました。又吉直樹さんの推薦文が帯についています。伝統的な叙情性のあるSFがアップデートされたような作品で、SFファンじゃない方々にも受け入れられた。これもジャンルに対する愛があふれています。SFの翻訳者には、伊藤典夫さんや浅倉久志さんなど有名な方がたくさんいて、その伝統に即した翻訳になっています。この二冊が落ちてしまったのは残念かなあ。あと、李炳注『智異山』(松田暢裕訳/東方出版)。これは労作です。

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米光 分厚い。上下巻、しかも二段組み。

西崎 史実をもとに書かれた韓国の長大な大河小説です。パルチザン、政府に反抗した人々がいて……という。これを一人で訳すというのは、それだけですごいなと思います。

どういう翻訳書を評価するのか

柴田 翻訳大賞はどういう翻訳書を評価するのか。今年もそれを考えながら読みました。ぼくらがひとまず合意してるのは、「こういう翻訳を応援したいと思う本に賞を出す」。これは公式サイトにも明文化してあります。でも、どういう本を応援したいかについての合意はありません。なくていいと思っています。それは一人一人が考えればいい。

西崎 そうですね。

柴田 で、今回、読みながら考えたのは、作品の良さと切り離して翻訳の良さというものを考えることはできるのか。英語圏ではない本もたくさんありますから、原文が読めないものも出てくる。原文も見ないでこの訳文はいいとか悪いとか言う権利はあるのか。

西崎 うんうん。

柴田 ある、と思いました。

西崎 あははは。

柴田 この訳文はいいなとか、作品はいいけどこの訳文は嫌だなっていうのは、やっぱり明らかにある。勘違いの場合もあるかもしれない。でも、読書の実感として、間違いなくあります。

ジャンルを壊すような訳文

金原 その「いいな」「嫌だな」について、もっと詳しく聞きたいです。

柴田 西崎さんがさっきおっしゃったジャンルへの愛の、逆になるのかもしれない。むしろ、ジャンルを壊すような、あるいはジャンルの約束事を抜け出るような訳文に、ぼくは開放感をおぼえる。それが快感なんです。自分を棚に上げて言いますが(笑)。よくあるような手堅い翻訳とは、違うものがあるのがいいんだな。

金原 それは一種の違和感みたいな?

柴田 そう。それが快い違和感なのか、嫌だなあ、みたいな違和感なのか。

金原 嫌だな、という違和感もOKなんですか?

柴田 嫌だな、の質によりますね。単に「下手だなあ」と思える嫌さもあるし。

岸本 違和感がいいほうに出ている翻訳で、これっていうのはありますか?

柴田 ぱっと思いつくのは、西成彦さんが訳したヴィトルド・ゴンブローヴィッチの『トランス=アトランティック』(国書刊行会)。

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たしか中原昌也さんが推薦文書かれていますよね。ああいう壊れたかんじは、ぼく自身うまく表現できない。よけいに憧れます。

 

岸本 それはつまり、細かく見たら原文から逸脱しているけれども、その逸脱も含めて、作品に合っているという。

柴田 いえ、原文はポーランド語なのでわからないのですけれども、もしかしたら原文も壊れていて、そのかんじが出ているのかもしれない。そう思わせるものがありました。

米光 町田康さんの「宇治拾遺物語」はどうですか。

西崎 『池澤夏樹個人編集日本文学全集8 宇治拾遺物語ほか』(町田康ほか訳/河出書房新社)ですね。

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米光 15冊には入らなかったけど、入るんじゃないかって言われてましたよね。

西崎 読者から何票か来ましたね。あれは、町田さんの訳によって、「宇治拾遺物語」に目が行けば成功だと思います。

柴田 そうですね。

西崎 そこの功績は大きい。

柴田 「宇治拾遺物語」は日本語で書かれてはいるけれど、たぶん、現代のアメリカ小説より、我々にとって遠い。

西崎 うん。

柴田 遠いものを訳すときに、強引にこっちに引き寄せることで、とにかくアクセスできるようにするっていうのは、うまく行けばすごくいいことだと思う。

金原 原文に当たっているのか重訳なのかはわかりませんが、どこにポイントを置いて訳しているのか聞いてみたい。池澤夏樹さん訳の『古事記』にしても。

柴田 池澤さんの場合は原文寄りでやっていると思いますね。専門家の三浦佑之さんにチェックしてもらっていますから。

金原 そうですね。

自分が世界の一部である感覚

柴田 で、15作のなかで、ありがちな翻訳の型からいいかんじに外れてるな、と思ったのが、マリ・ゲヴェルス『フランドルの四季暦』(宮林寛訳/河出書房新社)。

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1938年に書かれたものです。一段落読みます。

家が、そして庭が、私の世界であり、私の楽園でした。……(略)……木立ちに差す太陽が、私たち一家の太陽でした。雨は親しげに腕を差し伸べてくれ、雲が庭の真上に差しかかった時点で、早くも私だけの雨になるのでした。雪は静かに降り積もって、純白の楽園に私を招いてくれました。そして窓から身を乗り出せば、私の小さな顔が下の池に映って、微笑み返してくるのを見ることができたのです。

人間の主語がひとつも書かれていない。「私は」「私の母は」とかが一切ない。これ以外の箇所も、そういう主語がとても少ないんですね。主語を抜くのがうまい翻訳だとはよく言われるけれど、これはそれだけじゃない。『フランドルの四季暦』は、自然のなかに溶け込んで暮している人の語りです。世界と調和する感覚、自分が世界の一部である感覚が、人間の主語を極力抜いた訳文にあらわれている。翻訳文学のありがちな型から快くずれていて、いいなと思いました。全編綺麗な言葉が連なるかんじに、乗れる人と乗れない人がいるだろうな、とは思いますが。

金原 メールで、21世紀らしくないところがいいって言ってましたよね。それはどういう意味ですか?

柴田 世界と人が調和できるという暗黙の前提が感じられるところです。今も、同じような状況で生きようとする人はいるけど、ここまで人間と自然の調和を前提には書けないんじゃないか。そのあたりが、ですます調の優しい調子の訳文にあらわれている。

ブラッドベリみたいなセンチメンタリズム

米光 金原さんは、印象に残っている作品はありますか?

金原 推した作品はだいたい最終選考の5作に残っています。

西崎 そうなんだ。

金原 でも、SF短編集の『紙の動物園』は、どの短編を読んでも面白かった。

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レイ・ブラッドベリみたいなセンチメンタリズムをうまく現代に取り込んで、さらに東洋テイストを加味していて。

西崎 ぐっと来るものがありましたよね。

金原 うん。あとは、ステファン・グラビンスキ『動きの悪魔』(芝田文乃訳/国書刊行会)。

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帯によると、ポーランドのポー、ポーランドのラヴクラフトという。さらに語り口はディケンズ風の短編集です。ぜんぶ鉄道に絡んでいて、「鉄」と言われる人にはたまらない一冊。

西崎 怪奇ファンにおすすめしたい。

金原 現代風の捻りもうまく効いています。面白かったな。

作品の良さも審査に関係する?

柴田 ということは、やはり、金原さんは作品の良さも審査の要素に入れるってことですか?

金原 うん。

西崎 それは当たり前じゃないですか。

米光 そうなの?

金原 これはこう訳してるけど原文はこうだろうなって勝手に修正しながら読んでしまうという悪い癖がぼくにはあって。

柴田 それは、作品に対する評価じゃないですか。

金原 そうです。

柴田 我々は、翻訳を評価してるんじゃないの。

西崎 はっはっはっは。

金原 そうなんですけどねー。

柴田 そこは自分でも答えがなくて。

金原 うんうん。

柴田 ひとつの極端な選考のありかたとしては、もう作品の質はいっさい問わない。翻訳の質だけ考える。でも、それは原理的に無理だろうとも思う。

西崎 はい。

訳文からどれだけ快楽が伝わってくるか

柴田 やっぱり翻訳の良さって、訳文からどれだけ快楽が伝わってくるかで決まる。ろくでもない作品だったら、もともと快楽ないですから。ないところに快楽を作っている翻訳も一部にはあって、そういうのをむしろ持ち上げたいですけど、まあ、ふつうはやっぱり選考に作品の面白さは入らざるを得ない。それをどこまで入れるか。

金原 難しいですよね。

岸本 私もそれを考えていて。でも、トータルで面白いと感じるものに翻訳の良さが入っているはずだという考え方です。だから作品の質を抜かしてこの翻訳はいいとか悪いとかって、そんなに批評しない。

柴田 なんかさー、ぼくだけ性格悪いみたい(笑)。

岸本 いやいやいや、そんなことないです(笑)。なんか、流派に名前つけたいですね、翻訳原理主義とか。なのでまあ、そういう意味で印象に残ったのは、パトリシア・ハイスミス『キャロル』(柿沼瑛子訳/河出文庫)です。

キャロル

居場所がない人間の足掻き

金原 最近映画化もされましたね。

岸本 それでご存知の方も多いと思います。パトリシア・ハイスミスは「イヤミスの女王」と言われてますけれども、イヤな話でもなく、ミステリでもなく、切なくて美しいストレートな恋愛物語であり、青春物語である。デパートに勤める19歳のテレーズという語り手がいて、彼女が恋するのが、キャロルという裕福なマダムです。女性同士の恋愛ではありますが、それが前面に出てくるわけでもなく。で、全編を息苦しさが覆っているんですね。

西崎 うんうん。

岸本 語り手の「私」が19歳だから、青春時代特有の息苦しさというのもある。さらに、これが書かれたのがマッカーシズム真っ盛りの1950年代で、赤狩りがあって、同性愛も弾圧されていた。このころ同性愛は病気とみなされていて、電気ショックで治療していたんですよ。そういう圧迫感もありつつ。テレーズのデパートの同僚とか、出てくる女の人が、もうみんな、居場所がないんです。家庭にも、社会にも、職場にも居場所がない。そこで足掻いている切なさと息苦しさがすごく伝わってきて。

米光 おおー。

岸本 語り手はとてもエモーショナルな人で、すぐかっとなったり、さっきまで好きだった人を急に嫌いになったりする。そのへんを淡々と抑えた文章で訳しています。ハイスミスもこんな風に書いたんじゃないかと想像できるような翻訳がされていました。

西崎 なるほどね。

岸本 これも合う合わないはすごくあると思います。

西崎 映画の評判いいよね。

岸本 いいですね。ケイト様が良すぎてですね。

金原 良いんだ。

岸本 ただ、やっぱり、原作と比べると美しさが前面に出ています。原作に、テレーズの同僚のおばさんが出てくるんですけど。

柴田 ああ、あの人いいよねえ。

岸本 ええ。テレーズがこのままくすぶっていたらこうなるだろうなっていう、負のロールモデルの中年女性がいて。そういう人は映画には出てこない。そのへんは美しくしすぎかな。でも、50年代の空気感がうまく出ていて、映画もおすすめです。

翻訳が原文を超えることはある?

西崎 みんなに聞いていいですか? 翻訳が原作より悪くなることってありますよね。反対に良くなることってあります?

金原 それはあるでしょう。みんな胸を張って言わないと。

西崎 あはははは。

柴田 特殊な例を言うと、小川高義君が訳したアーサー・ゴールデン『Memoirs of a Geisha 』。

岸本 『さゆり』(文春文庫)ですね。

 

sayuri

柴田 原作はセクシストのオリエンタリストで、つきあいきれない本だとぼくは思いますけど、翻訳は会話の見事さで立っている。というのも、原作では日本の芸者たちがふつうの英語を喋っている。それに対して小川君は、英語のできる芸者さんのもとへ通いつめて芸者言葉を学んで。

西崎 それはすごい。

柴田 翻訳のなかでは、芸者さんに本物の芸者言葉を喋らせている。この本は翻訳で明らかによくなったと思います。

原作よりよい翻訳を目指すべき?

西崎 じゃあ我々は、原作よりよい翻訳を目指すべきですか?

岸本 うーん。

柴田 いや、いま特殊な例を言いましたけど、ふつうは、訳す価値があると思うからやってるわけです。そうすると、翻訳者が何かを付加しようとするのは傲慢だと思う。「なるべく劣ってないコピー」を目指すのがいいんじゃないかなあ。

金原 自分で気に入った作品を持ってきて訳すのは、言ってみれば河岸で活きのいい鯛を一匹買ってきて、そのまま味わってもらっている状態ですよね。でも、問題は「これちょっと腐りかけなんだけど……」って鯛を渡された場合かな。これはこれで面白くて、下味をつけて、唐揚げにするという手もあるし。それも翻訳かなと。

柴田 ぼくは受け取らない(笑)。

何も足さない、何も引かない

金原 「何を足さない、何も引かない」翻訳がいいって言われることもある。これは実際できることなのかな?

岸本 それは、どういう立場の人が「これは何も足してない、引いてないな」ってジャッジするのか。原文に踏み込み寄り添って、書いてない言葉を少し足すのは、私はありだと思います。

西崎 私もありだと思っています。

岸本 大きな目で見たら、それは別に足してないっていう考え方もできる。

西崎 そうですね。

岸本 それについて最近よく考えます。

西崎 悩みますね。軽くね。軽くだけど(笑)

岸本 軽くです(笑)。

柴田 悩むことより訳すことのほうが大事だから。

西崎 あんまり悩んでも訳せないもんね。

岸本 下手に悩むと止まってしまうので。

西崎 出す以上、批判はしょうがない。受け止めるしかない。

柴田 たぶん、「何も足さない、何も引かない」って、あまり考えてない人が言うことじゃないかな。

金原 ぼくたまに言ってます(笑)

西崎 はっはっは。

金原 特に翻訳をやり始めの人って、やたら足したり引いたりしたがるでしょう。

岸本 ちなみにそれ、ウィスキーのコマーシャルの言葉ですよ。サントリー山崎の。

柴田 ウィスキーならわかる!

金原 世の中で非常にうまい飲み物は二種類あって、ウィスキー&ウォーターである。いちばんまずいものはウィスキー&ウォーター、つまり水割りのウィスキーである。そういう言い回しがあります。そういう意味で、何も足さずに、あるものは漏らさずきっちり訳すという。まあ、「何も足さない、何も引かない」は、言い方としてはどうにでも取れる。

柴田 それは「何も足さないようがんばり、何も引かないようがんばる」ってことじゃないですか。

金原 あ、いいですね。それ使わせていただきます。

柴田 自分の訳したものを、「これ何も足してません、引いてません」とは言えないよね。

金原 それは言ったことないですね。みなさんは、「何も足さない、何も引かない」と言われると考えちゃう?

西崎 俺に解釈力はそこまであるのかと。「何も足さない、何も引かない」ためには、原文の意味を100%把握してないとできない。

金原 その前に、作者は作者で100%の表現力があるのか。

米光 作者は伝えたいことを100%表現できているのか。作者自身のなかでも翻訳が行われている。

金原 うん。作者が伝えたいことを文字にする段階で、ひとつの翻訳がある。それをさらに翻訳者が読んでいるわけでしょう。

米光 文化差もありますよね。足さずに引かずにやっちゃうと日本ではわからないとか、そのままやるとイメージが違うとか。

金原 去年おすすめ本で紹介した『シートン動物記』は、注釈を入れずに、元の語りに子供向けの説明を混ぜ込みながら訳してるんですよ。

米光 原文より長くなっちゃうってことですよね。

金原 非常に長く、でも読みやすくなっている。あれはありだな、と思って。

蛮勇と愛が突っ走っている

米光 みなさまにお配りした小冊子で、隠れリスペクトということで、審査員の皆さんがこの翻訳本はいいよねって思ったものを5冊づつ挙げてもらっています。今の話の延長戦上でこの本はどうだろう、みたいなのありますか?

西崎 岸本さんどうですか。

岸本 その話に連なるものがないんですが。

米光 なくてもいいです。

岸本 流れぶったぎっちゃう感じですが……『ROOKIE YEARBOOK ONE』は、翻訳の質云々というより、この本の成り立ちが面白くて、応援する意味で挙げました。

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タヴィ・ゲヴィンソンっていう13歳くらいのアメリカの女の子がウェブを立ち上げたんですね。ティーン向けの雑誌で紹介されているのは消費をともなう文化である。でも、私たちティーンはお金がない。お金をかけずにもっと自分の生活を楽しくできないかと。ふつうの女の子が立ち上げたサイトの規模がどんどん膨らんで、他のティーンが参加して、ひとつの大きいウェブマガジンみたいになって。それで1年経ったので、卒業生のイヤーブックみたいにして本を作った。

金原 大判ですよね。

岸本 おっきい本です。ほんとにすごく無名の人の集団です。まあ結局、ミランダ・ジュライとか、いろんな人が文章を寄せてるんですけれども。で、翻訳者もほとんどが無名の集団です。やりたい人を募って、みんなでやっちゃったみたいな。だから正直翻訳のレベルもまちまちです。でも、そういう蛮勇プラス愛情っていうのは、翻訳をやる上で大事だなって。最近、自分が汚れちまった哀しい大人になったせいか、そう思うことが多いです。

西崎 はっはっは。

岸本 蛮勇と愛が突っ走っている本なので、応援したくて。

金原 可愛くて、見てて楽しいし。

岸本 面白い試みだなと。

年齢と翻訳

米光 ティーンエイジャーの女の子の文章を翻訳するときって、金原さんはどうなさいますか?

金原 そういうときは若い翻訳家と共訳します。文化も文体もぜんぜん違うので。

米光 そこは難しいですもんね。

金原 難しい前に、無理。

米光 うん。

金原 おじさん何がんばってんの? ってかんじになります。年齢って文章に滲みでるから、絶対無理ですね。岸本さんはまだだいじょうぶでしょ。

岸本 いや、だめですね。だいじょうぶと思ってるとやばいですよね。

西崎 ああー。

岸本 痛いって言われると思う。皆さんにも聞きたかった。年齢とともに翻訳って変わりますか?

米光 柴田さんどうですか。

柴田 なんで年齢だと俺の話になるの(笑)。どうですかね、あんまり変わんないですね。でも今日、ひさしぶりに自分が20年ぐらい前にやった翻訳を見て、ちょっと直したくなりました。だいたいもっと口語訳に直したくなりますね。だんだん聞こえ方が変わってきました。全体的傾向として、小説の文章がより喋ってるように聞こえるようになってきた。

岸本 それは上達したということですよね。

柴田 だと思いたい。

西崎 昔の訳を見るのはいやですね。幻想文学って、綺羅を尽くしたものとか、平談俗語みたいな江戸調も多い。それにかぶれてたので、今読むと、ちょっと痛々しい。あのころ訳したものを今の感覚で訳しなおしたいなって思います。あと、日本語もやっぱし古びる。小説を書いていても感じます。10年ぐらいするとどこかしら古くなる。発想とか文体とか。たとえば、ジーンズは、ジーパン、デニム、ジーンズどれで訳したらいいのか。年をとるとそこではずしちゃいます。ぼくは、金原さんと違って自分でやるしかないんで、居直っちゃうかな。

わし問題

金原 ぼく、20年くらい前のを読み直したら、もうだめだなお前っていうのがありました。おじいちゃんの喋り方がおじいちゃんおじいちゃんしすぎ。

柴田 それはそう。

金原 これありえないと思って。

柴田 やっぱり30代のころ翻訳やると、60歳はもうジジババだと思って「わし」とか平気で言わせちゃう。でも、俺いま61だけど「わし」とは言わないぞ、とか思うわけ。

岸本 はっはっは。

金原 まさにそれ!

柴田 「わし」って書くの躊躇しちゃうもんね。もうね。本当に言う人知ってます?

金原 うちのお婆ちゃんですね。

岸本 意外と女子が言います。

米光 ぼく広島なんで、10代から「わし」ですけどね。

柴田 それは別問題(笑)。だから、年寄り男を示す「わし」は、現実に使っている人はそんなにいない。

米光 ゲームの老賢者は「わし」ってやらないと雰囲気が出ないかも。

西崎 余談ですけど、21世紀になってもパンクバンドの歌詞の一人称は「おいら」なんですよ。

米光 え、まだそうなの?

西崎  少なくとも21世紀のはじめくらいは耳にしました。

わよ問題

岸本 翻訳は古くなるから常に刷新していかなきゃいけないってよく言われますよね。私も最近、20年ぐらい前に訳したものを見直して、女性のセリフの語尾が気になりました。最近話題になってますけど、女の人の言葉の語尾を訳すときにけっこう困ります。昔は「だわ」「わよ」とかが多い。皆さんは「わよ問題」どうですか?

金原 それはねー。ぼくは、終助詞の「わ」をどんどん削るようにしています。

西崎 私もそう。

金原 でもね、読者の問題もあるわけです。先日、ぼくの知り合いが講演をして。それを書き起こした原稿を読んだ人から「今度の講演会は女性だったんですね」と言われました。

米光 ほう。

金原 現代ではふだん、男性も「〜ですね」「〜ね」のように、言葉を中性的に使っている。だけどそれをそのまま文字にすると女性的に読めてしまう。そこの部分は努めて男言葉にしたほうが分かりやすい。面白いのは、漫画の場合はね、男の子が「よ」「ね」を平気で使ってるの。

米光 そうか、絵で性別が分かるから。

金原 そう。文字だけにしてしまうと、そこがね、妙に目についてしまう場合がある。

実際に使う言葉と役割語

柴田 「わし」も「わよ」も、言語学でいう「役割語」ってやつですよね。実際には誰も言わないんだけど、こういうふうに書くといかにも30代ぐらいの女性らしい、とかね。

西崎 「よ・わ・ねを吐くな」って言うそうですよ。語尾に「よ」「わ」「ね」を使わないようにしようと。

岸本 男の人が質問するときの言い回しにいつも悩みます。気持ち悪いなーと思いつつ、「〜なのかい?」にせざるをえないことが、たびたびあり。

金原 「かい問題」ですね。

西崎 ありますねー。

岸本 あるでしょう、「かい問題」。

米光 たまに「〜かしらん」って出てきますよね。あれ見ると乗れなくなっちゃう。どういうかんじで言ってるのかわかんなくて。

西崎 昔はね、もともと男女で「かしら」って言い方したんですよ。

柴田 うん。

西崎 今は使わないですねー。

小説の面白さを煮詰めたような

米光 西崎さんの隠れリスペクトは?

西崎 すごい急に来ましたね(笑)

米光 時間が迫ってることに気付づきました。

西崎 チャールズ・ラム『完訳・エリア随筆』(南條竹則訳・国書刊行会)。

書影

昔の英文学風でね。このスタイルの訳し方をしている人は、ほぼ一人じゃないかな。岸本さんも隠れリスペクトに南條竹則訳を挙げています。

岸本 アーサー・マッケンの『輝く金字塔』(J・L・ホルヘス編纂、南條竹則訳・国書刊行会)ですね。

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大好きです。一人一ジャンルなんですか? 南條さんのような訳の流派は。

西崎 あまりいないんじゃないかなあ。

岸本 そうですね。他にいない。……小山太一さん? 違うか。

柴田 あーでも近いんじゃないですか。

西崎 なるほど。

柴田 小山君のほうがよくも悪くも幅が広くて、あそこまで耽美に徹してないですね。

西崎 柴田さんは南條さんとは面識ありますか?

柴田 大学院でなんとなく「ちょっとこいつ20世紀じゃないな」みたいなのが何年か下にいたのは覚えてる。

西崎 20世紀じゃない(笑)

岸本 あ、でも、小山さんもインバネス着てたんですよ。

柴田 そうそうそうインバネス。

岸本 鳥打ち帽にインバネス。でも夏になったら急にアロハを着てきて。あ、すいません脱線しました(笑)。

西崎 はい(笑)。で、ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』(中嶋浩郎 訳・新潮社)。

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すばらしい訳です。何か大きいことが起こるわけでもなく淡々と進みますが、それが、いい空気を吸っているような感覚なんです。マルセル・シュオッブ『マルセル・シュオッブ全集』(大濱甫、多田智満子、宮下志朗 、千葉文夫 、大野多加志 、尾方邦雄 訳/国書刊行会)。

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16,200円 もするのでなかなか買えないんですけれど、とにかくすばらしい作家ですね。アルチュール・ランボー『ランボー詩集』(堀口大學 訳/新潮文庫)。

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とてつもないです。

金原 最近読み直しました。『ランボー詩集』

西崎 すばらしいですよね。アルジャナン・ブラックウッド他『怪奇小説傑作集〈1〉英米編1』(平井呈一 訳/創元推理文庫)は、このジャンルの基本的な図書です。

書影

小説の面白さを煮詰めたようなところがある。ぜひトライしてみてください。

こんなに面白いのになぜ売れてない

米光 金原さんどうですか?

金原 ヤングアダルト向けに面白そうなものを挙げてみました。ヴォーンダ・ミショー・ネルソン『ハーレムの闘う本屋』(原田勝 訳/あすなろ書房)。

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スティーヴ・ハミルトン『解錠師』(越前敏弥 訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。

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キャサリン・フィッシャー『インカースロン 囚われの魔窟』『サフィーク 魔術師の手袋』(井辻朱美 訳/原書房)です。

incarceron

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『ハーレムの闘う本屋』はノンフィクション。書店を開いた黒人のおじさんの話です。この本にこの訳文はぴったりだな、と。『解錠師』はミステリーです。『インカースロン』はこんなに面白いのになぜ売れてない、という気持ちで挙げました。それから、カール・オーヴェ・クナウスゴール『わが闘争 父の死』(岡本健志、安藤佳子 訳/早川書房)と、

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ダニエル・アラルコン『夜、僕らは輪になって歩く』(藤井光 訳/新潮社)です。

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『わが闘争 父の死』は、一冊5、600ページあって、ほんとに怒涛の勢いで書かれた本です。ゴリゴリのリアリズムなんですけれども、読みだすと止まらない。『夜、僕らは輪になって歩く』は、『ロスト・シティ・レディオ』を書いたアラルコンの第二作、注目です。

いい耳を持った翻訳者

米光 柴田さんの隠れリスペクトは。

柴田 今回は、長年お世話になってきた訳者たち、ということで選びました。あと最近、日本文学から英語への翻訳に関わることが多くなってきました。そのなかで、さきほど話にあがったような、「なにも足さない、なにも引かない」ように感じられる訳者は誰かなって気になるんですよね。別の言い方をすると、この人は耳がいいなって思える訳者。そのひとりがロジャー・パルバースです。それから、村上春樹のメイン翻訳者のジェイ・ルービン。若手でピカイチの、ああ彼ももう若手というより中堅か、マイケル・エメリック。大学院生だけどすばらしい訳をやっているデイヴィッド・ボイド君。この四人はほんとに、いい耳を持っています。

自画自賛コーナー

米光 「翻訳者が褒められる機会がない」という西崎さんのツイートから始まったこの賞ですが、審査委員は選考対象外なんですよね。本当なら挙がってきてるかもしれないのに、ねえ、西崎さん褒められたいと思ってるのに褒められない。

西崎 はい(笑)

米光 というわけで自画自賛をお願いします。自分の翻訳仕事で、こんなことやったよ、というのがあれば。全員やると時間がなくなっちゃうので、金原さんと柴田さんに。

金原 最近は日本の古典の、とくに江戸ものの翻案が好きで。 岩崎書店の「ストーリーで楽しむ日本の古典」というシリーズから、 『雨月物語』『怪談牡丹灯籠』『東海道四谷怪談』をやりました。

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四谷怪談はほんっとに大変だったんですよ。歌舞伎で見ると、お岩の「髪梳きの場」や「提灯抜け」などの見せ場はすごく面白い。「戸板返し」なんか、一人二役で早変わりします。でもストーリーだけ取り出して物語にしようとすると、めっぽう退屈(笑)。高校の演劇部で四谷怪談をやるという設定にして切り抜けました。大変だったけど面白かった。

西崎 おおー。

金原 偕成社で『仮名手本忠臣蔵』を、中高生向けに翻案したときも楽しかった。

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作品そのものが完璧というほどよくできていて、どう切ってどう繋げてもサマになるんですよ。年をとるとね、こっちに行きますね。古典の翻案の仕事は増えるかもしれません。

柴田 ぼくはね、「翻訳者はあまり褒められる機会がない」っていうのは、日本ではどうなんだろうって思うこともあって。ヨーロッパ、アメリカの翻訳者と話していると、翻訳者は冷遇されていて、インビジブルな存在で、お金にもならなくて、と愚痴が多いんですよね。それに比べると、日本はけっこう重要視されている。翻訳大賞の中間報告会といえば、これだけの人が集まってくれるし。

西崎 うんうん。

柴田 で、自画自賛できるものを、とご注文いただいたので喋るんですけど、これは誰も褒めてくれないのでほんとうに自画自賛です。絵本作家エドワード・ゴーリーの本を何冊か訳しています。この本は『ジャンブリーズ』

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19世紀、ルイス・キャロルと同時代のナンセンス作家エドワード・リアの詩「ジャンブリーズ」にゴーリーが絵をつけている。このリアの詩の訳は、ぼくが今までやったなかで、いちばんいい仕事だと思っています。sea――海という言葉と、sieve――ふるいという言葉がキーワードになっています。最初に英語を読みます。

They went to sea in a Sieve, they did,
In a Sieve they went to sea

ほとんど繰り返しですね。

In spite of all their friends could say,
On a winter’s morn, on a stormy day,
In a Sieve they went to sea!

 

ふるいにのって ふなでした ふるいのふねで うみにでた とめるともらを ふりきって あらしのあれる ふゆのあさ ふるいのふねで うみにでた!

 

Far and few, far and few,
Are the lands where the Jumblies live;
Their heads are green, and their hands are blue,
And they went to sea in a Sieve.

 

うみのかなたの そらとおく ジャンブリーズの すむという あたまはみどり てはあおく ふるいにのって ふなでした

そんなかんじです。

(拍手)

米光 ありがとうございます。

殴り合いになったりするかも

西崎 最後に一言ずつ言いますかね。私から。翻訳大賞はこれからね、3回、4回、5回、10回、もう50回まで予定していますので。本全体、小説、詩、エッセイとか、いろんな翻訳をみんなで楽しんでいければいいなと思っています。

岸本 最近ツイッターとかで、翻訳小説が売れなくてやばいってしきりに言う人がいて、「そうかな?」って思うんですよ。翻訳大賞の一次選考にたくさんの熱い推薦を寄せていただいたし、今日もこれだけ人が来てくださった。盛り上がっているよっていうことを、これからも、翻訳大賞を通じて訴えていけたらいいなと思います。

米光 日本翻訳大賞のホームページに、読者のみなさんの推薦文が載っています。ぜひ見てください。見たら、どんだけ熱い読者がいるのかがわかるので。

金原 最近、面白い翻訳小説を紹介する雑誌「BOOKMARK」を出しました。今、3号まで出ています。今回候補になった作品も、次号で取り上げる予定です。今度の授賞式もね、最終選考に残った作品だけでも読んできてくださると面白いと思います。

柴田 この日本翻訳大賞の最大の財産は、読者の方々の熱い推薦文だと思っています。今後ともよろしくお願いします。それから今日の話でもある程度見えたと思うんだけど、選考委員のなかで、いい翻訳とは何か、合意がなくゆるやかにズレているのがちょうどいいな、といまは思っています。選考会でその差異がもっと明らかになって、殴り合いになったりするかもしれませんけど(笑)。

西崎 はっはっは。

英語圏のものがひとつ

米光 今日は、最終選考の5作に残った作品についてはほとんど触れられなかったですけど、授賞式で詳しく語られると思うので。

西崎 ひとことづつ言いますか。最終選考候補作は、ドミトリイ・バーキン『出身国』(秋草俊一郎 訳/群像社)。

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パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ 訳/河出書房新社)。

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トレヴェニアン『パールストリートのクレイジー女たち』(江國香織 訳/ホーム社)。

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呉明益『歩道橋の魔術師』(天野健太郎 訳/白水社)。

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キルメン・ウリベ『ムシェ 小さな英雄の物語』(金子奈美 訳/白水社)です。

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柴田 全体を見てやっぱり、英語圏のものがひとつっていうのは、ぼく自身は嬉しいですね。

金原 去年もそうでしたね。

米光 英語圏のものが占めたりはしないということで、また面白い状況になっていますね。

金原 バスク語もありますしね。

西崎 『出身国』でね、ひとつ痺れたフレーズがあって。

その場にいたものはみな、蜃気楼にそうするように、目だけで別れを告げたのだった

比喩が抜群にうまい。他にもすごい作品が揃っています。『素晴らしきソリボ』は、語り部ソリボさんの話です。喉を掻き裂かれて死ぬときに「ぱたっとぅ さ!」と叫ぶんですね。それはフランスの黒人たちが使うクレオール語です。それを聞いた者たちは、「ぱたっとぅ し!」って声をあわせて応えるんです。……ごめんなさい、時間なのに熱く語ってしまいました。

■第二回日本翻訳大賞授賞式

米光 最後にここで発表です。第二回日本翻訳大賞授賞式の詳細をお知らせします。4月24日、日曜日、日比谷図書文化館大ホールにて、14時半から16時半を予定しています。入場料は1000円です。年に一回、翻訳好きのひとたちが集まるお祭りみたいになるといいなーと思っています。去年は、どういうふうに審査したかを選考委員が話したり、受賞者が朗読をしたりしました。いろいろと趣向を凝らしてやっていきます。ぜひ来てください。それでは今日はどうもありがとうございました。
(拍手)

ボーナストラック

選考委員5人の〈私の隠れリスペクト〉を紹介します。

金原瑞人

1.『わが闘争 父の死』
カール・オーヴェ・クナウスゴール 岡本健志、安藤佳子 訳 早川書房

内容から文体まで、すさまじいまでにリアリスティックな現代小説。読みだすとやめられないけど、読むのがつらいけど、読んでしまう。これを訳すには、どれほどの気力と体力が必要なのだろう。

2.『夜、僕らは輪になって歩く』
ダニエル・アラルコン 藤井光 訳 新潮社

デビュー作『ロスト・シティ・レディオ』で注目を浴びたアラルコンの新作。呪われた芝居を演じる役者3人の地方公演を追っていく。彼らの現実感のなさと浮遊感が異様にリアルに描かれていく。

3.『ハーレムの闘う本屋』
ヴォーンダ・ミショー・ネルソン 原田勝 訳 あすなろ書房

1939年、ハーレムに「黒人が書いた黒人のための本」を集めた本屋を開いた黒人の生涯を活写した作品。訳文がぴったりで、この作品にはこの訳文しかないだろうと思ってしまう。

4.『解錠師』
スティーヴ・ハミルトン 越前敏弥 訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

どんな鍵でも開けることのできる少年が、さまざまな「鍵」を開けていくスリリングな物語。ミステリとしても素晴らしいが、じつにスピーディに小気味いい訳文が快感。

5.『インカースロン 囚われの魔窟』『サフィーク 魔術師の手袋』
キャサリン・フィッシャー 井辻朱美 訳 原書房

だれにも真似できない世界が、だれにも真似できない訳文で綴られていく。井辻朱美訳のファンタジーの楽しさを最も深く味わえる作品。

岸本佐知子

1.『ROOKIE YEAR BOOK ONE』
タヴィ・ゲヴィンソン他 多屋澄礼 訳・監修 DUBOOKS

名もない一人のティーンエイジャーが立ち上げたブログから生まれた、奇跡のような一冊。ここには「チーム」の強さと美しさが詰まっています。翻訳もまた。

2.『自分ひとりの部屋』
ヴァージニア・ウルフ 片山亜紀 訳 平凡社ライブラリー

女子大学で行った講演をもとに書かれているために、今まで知らなかった「ライブ」なウルフを感じることができます。そして語られている内容は、百年たった今なお少しも古びておらず、そこもまたライブ。

3.『くまのプーさん プー横町にたった家』
A・A・ミルン 石井桃子 訳 岩波書店

石井桃子さんがこのくまの名前をプー「さん」としたときに、日本の翻訳の歴史はガクンと一歩大きな階段をのぼった、というのが私の主張です。

4.『ゼロからトースターを作ってみた結果』
トーマス・ウェイツ 村井理子 訳 新潮文庫

今や「ぎゅうぎゅう焼き」レシピで有名な村井さんですが、ツイートがめっぽう面白く、そしてもちろん訳すのも面白い。『ブッシュ妄言録』熱烈復刊希望。

5.『輝く金字塔』(バベルの図書館21)
アーサー・マッケン J・L・ボルヘス編纂 南條竹則 国書刊行会

これが私のファースト〈バベルの図書館〉。物語の不気味さと訳文の端正さがあいまって、今でもマイ・ベスト・バベルです。

柴田元幸

1.『創造者』
J・L・ボルヘス 鼓直 訳 岩波文庫

今回は翻訳書というより翻訳者で選びました。ボルヘスの静かな黙想とガルシア=マルケスの強烈な幻視の両方を見事に伝えてくれた鼓さんがいなかったら、日本でのラテンアメリカ文学受容は(たぶん悪い方に)変わっていたでしょう。

2.『鼻/外套/査察官』
ゴーゴリ 浦雅春 訳 光文社古典新訳文庫

光文社古典新訳文庫のロシア文学と言えばまずは亀山訳『カラマーゾフの兄弟』が話題で、あれはあれで素晴らしいんですが、この落語風『鼻』も楽しいです。

3.『バロマー』
イタロ・カルヴィーノ 和田忠彦 訳 岩波文庫

一番静かなカルヴィーノ作品の微妙さをしなやかにすくい上げていると思います(原文読んでないから、そう思えるというだけですが、そう思えるということにそれなりに意味はあると思います)。

4.『目眩まし』
W・G・ゼーバルト 鈴木仁子 訳 白水社

最後の偉大な文学者W・G・ゼーバルトは、日本においては鈴木仁子という名訳者を得、一貫して白水社から刊行されて、とてもよかったと思います。『アウステルリッツ』や『土星の環』が復刊されるともっといいですが……

5.『英語で読む 銀河鉄道の夜』
宮沢賢治 ロジャー・パルバース 訳 ちくま文庫

宮沢賢治の息づかいが見事に英語に移し換えられています。これは、そう思えるというだけでなく、実際に原文・訳文対訳を較べてみてそうだと確かめました。

番外編
『悪童日記』
クリストフ 堀茂樹 訳 ハヤカワepi文庫
シンプルな文章をシンプルに訳すのはけっこう勇気が要ることで、ついカッコつけた表現に直してしまいがちですが、この翻訳はそこがものすごく潔く思えて、中身(素晴らしい)と同じくらい感銘を受けました。

西崎憲

1.『完訳・エリア随筆』
チャールズ・ラム 南條竹則 訳 国書刊行会

地味であるが楽しく美しい仕事。二十世紀の英文学翻訳の精髄を二十一世紀の読者に感得させることのできる唯一の翻訳者南條竹則氏の史上最高とも言われるエッセイの翻訳です。

2.『べつの言葉で』
ジュンパ・ラヒリ 中嶋浩郎 訳 新潮社

エッセイは書き手に美質がなければ耐えがたくなる時があって、同時に翻訳者の美質も試されるようでもあります。抑制のきいた訳文はひじょうに高いレベルにあると思います。

3.『マルセル・シュオッブ全集』
マルセル・シュオッブ 大濱甫、多田智満子、宮下志朗 、千葉文夫 、大野多加志 、尾方邦雄 訳 国書刊行会

何しろ高価であるし、寝ころがって読めない本というのはじつはあまり好きではないのですが、これはちょっとしょうがないです。シュオッブは極みに立つ作家であるし、諸家の訳もまたそれに見合ったものであると思います。

4.『怪奇小説傑作集〈1〉英米編1』
アルジャナン・ブラックウッド他 平井呈一 訳 創元推理文庫

怪奇小説と怪奇幻想の翻訳を旨とした訳者平井呈一への入り口です。これがなかったらわたしの進路は違っていたように思います。

5.『ランボー詩集』
アルチュール・ランボー 堀口大學 訳 新潮文庫

堀口大學なんていまさらだし、ランボーもいまさらですよね。でも、何というか堀口大學は、最初に最高のものがきてしまったというような訳者です。
語の選択やリズムや響きの良さはもちろんですが、自分で仏語をやるようになって『月下の一群』の原文と訳文をつきあわせてみて驚いたのが、その正確性でした。いやはやすごい人がいたものです。

松永美穂

1.『ファウスト』(第一部)
ゲーテ 池内紀 訳 集英社文庫

原文は韻文で戯曲のスタイル。それがとても身近な日本語になっている。たくさんある既訳と読み比べても楽しい。

2.『移民たち』
W・G・ゼーバルト 鈴木仁子 訳 白水社

迷宮のような記憶の世界へと沈潜していく華麗なドイツ語を、鈴木仁子が魂の共振を感じさせるぴったりの日本語で訳出。

3.『鳥』 オ・ジョンヒ 文茶影 訳 段々社

アジアの現代文学を熱心に紹介している出版社からの一冊。子どもの視点で書かれた切ない小説が、詩的な余韻のある日本語で読める。

4.『子供時代』
リュドミラ ウリツカヤ ウラジーミル リュバロフ 挿絵 沼野恭子 訳 新潮社

小さな本だけど、何度でも読み返したくなる。日本で紹介してくれてありがとうと言いたくなる本。挿絵がまたすばらしい!

5.『カールの降誕祭』
フェルディナント・フォン・シーラッハ 酒寄進一 訳 東京創元社

フランスの短編を集めたアンソロジーもまた多いのですが、そのうちの屈指のものです。紹介への熱意、翻訳への熱意も溢れだしています。人が楽しそうに仕事をしているのを見るのはいいものですね。訳もいいですが、収録作品はどれもとにかく面白いです。

第二回日本翻訳大賞受賞作決定

第二回日本翻訳大賞の選考会が平成28年4月10日(日)早稲田で行われ、候補作品の中から『素晴らしきソリボ』パトリック・シャモワゾー/関口涼子、パトリック・オノレ訳(河出書房新社)『ムシェ 小さな英雄の物語』キルメン・ウリベ/金子奈美訳(白水社)が受賞作に決まりました。

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授賞式&トークイベントは2016年4月24日(日)、日比谷図書文化館コンベンションホールで開催します。
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<第二回日本翻訳大賞授賞式>
【日時】2016年4月24日(日) 14:30開演(16:30閉会)
【会場】日比谷図書文化館コンベンションホール
【内容】選考委員全員が壇上で座談会的に総評、受賞訳にたいする選評、受賞者挨拶、受賞者と委員の対談、朗読等々イベントとしてもお楽しみいただける内容を予定しております。(受賞者の意向や諸事情による内容変更はあらかじめご了承ください)
【チケット】Peatixで予約・販売中。
http://besttranslationaward2015.peatix.com/
【料 金】1,000円 (税込・全席自由) ※チケット代金は日本翻訳大賞実行委員会のファンドレイジングに充てさせていただきます。

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授賞式は、選考委員が選考会を振り返る座談会や、受賞作に関するトーク、受賞者との対談など、翻訳に関するイベント満載のカジュアルな式を企画しています。ぜひ、お気軽にご参加ください!

第二回日本翻訳大賞授賞式(&トークイベント)

第二回日本翻訳大賞の最終候補が以下の5作品に決まりました。


 

『出身国』ドミトリイ・バーキン/秋草俊一郎訳(群像社)
『素晴らしきソリボ』パトリック・シャモワゾー/関口涼子、パトリック・オノレ訳(河出書房新社)
『パールストリートのクレイジー女たち』トレヴェニアン/江國香織訳(ホーム社)
『歩道橋の魔術師』呉明益/天野健太郎訳(白水社)
『ムシェ 小さな英雄の物語』キルメン・ウリベ/金子奈美訳(白水社)


 

4月10日に行う最終選考会にて大賞作品を決定、翌11日に発表となります。

授賞式は、選考委員が選考会を振り返る座談会や、受賞作に関するトーク、受賞者との対談など、翻訳に関するイベント満載のカジュアルな式を企画しています。ぜひ、お気軽にご参加ください!

授賞式写真

<第一回日本翻訳大賞授賞式の様子>

【日時】
2016年4月24日(日)
14時半〜16時半

【会場】
日比谷図書文化館コンベンションホール
(東京都千代田区日比谷公園1−4)

【チケット】
全席自由 ¥1,000

【出席者】
大賞受賞者、金原瑞人、岸本佐知子、柴田元幸、西崎憲、松永美穂、米光一成(司会)他

【タイムスケジュール】
開場:2時
開会:2時半
閉会:4時半

【式次第】
1:司会開会の辞
2:選考委員全員による座談会的な総評
3:受賞作にたいする選評(選考委員)
4:賞状・副賞贈呈
5:受賞者挨拶
6:受賞者とのトーク
7:司会閉会の辞
※その他、朗読等も予定しておりますが、受賞者の意向や諸事情による内容変更はあらかじめご了承ください。

ご予約はこちら

http://besttranslationaward2015.peatix.com/

【日本翻訳大賞とは】
1月1日~12月末までの1年間に発表された翻訳作品中、最も賞讃したいものに贈る賞。一般読者の支援を受けて運営し、選考にも読者の参加を仰ぐ。第1回の選考委員は金原瑞人・岸本佐知子・柴田元幸・西崎憲・松永美穂。【選考対象】2014年1月1日から12月末までに発行された日本語の翻訳書(再刊、復刊、選考委員の訳書は除く)
【選考委員プロフィール】
金原瑞人(かねはら・みずひと)
法政大学教授、翻訳家。訳書にウェストール『かかし』(徳間書店)、オクリ『満たされぬ道』(平凡社)、ペック『豚の死なない日』(白水社)、マコックラン『不思議を売る男』(偕成社)、シアラー『青空のむこう』(求龍堂)、リオーダン『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』(ほるぷ出版)、グリーン『さよならを待つふたりのために』(岩波書店)、『月と六ペンス』(新潮文庫)、『わたしはマララ』(学研)など。著書・エッセイ集に『雨月物語』(岩崎出版)『翻訳のさじかげん』(ポプラ出版)など。
岸本佐知子(きしもと・さちこ)
翻訳家。訳書にリディア・デイヴィス『話の終わり』(作品社)、ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』(新潮社)、ニコルソン・ベイカー『中二階』、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』(以上白水Uブックス)、ショーン・タン『遠い町から来た話』(河出書房新社)など。編訳書に『変愛小説集』(講談社文庫)、『居心地の悪い部屋』(角川書店)など。著書に『気になる部分』(白水Uブックス)、『ねにもつタイプ』(ちくま文庫、第23回講談社エッセイ賞受賞)など。
柴田元幸(しばた・もとゆき)
翻訳家、雑誌『Monkey』責任編集。訳書にオースター『幻影の書』(新潮文庫)、ダイベック『シカゴ育ち』、ミルハウザー『ナイフ投げ師』(以上、白水 Uブックス)、ロンドン『火を熾す』(スイッチ・パブリッシング)など。編訳書に『どこにもない国』(松柏社)、『紙の空から』(晶文社)など。著書に『死んでいるかしら』(日経文芸文庫)、『つまみ食い文学食堂』(角川文庫)、『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会、2005年サントリー学芸賞受賞)など。ほかに、英語文芸誌 Monkey Business 責任編集。
西崎憲(にしざき・けん)
翻訳家、アンソロジスト、作家。訳書にコッパード、『ヘミングウェイ短篇集』『郵便局と蛇』『ヴァージニア・ウルフ短篇集』『エドガー・アラン・ポー短篇集』(ちくま文庫)『第二の銃声』バークリー(創元推理文庫)など。共訳書に『ピース』ウルフ(国書刊行会)など、編訳書に〈ドイル傑作集全五巻〉(創元推理文庫)など。アンソロジーに『短篇小説日和』『怪奇小説日和』(ちくま文庫)など。著書に『世界の果ての庭』(第十四回ファンタジーノベル大賞受賞作、創元推理文庫)、『蕃東国年代記』(新潮社)、『ゆみに町ガイドブック』(河出書房新社)、『飛行士と東京の雨の森』(筑摩書房)。ほかに音楽レーベル〈dog and me records〉主宰。
松永美穂(まつなが・みほ)
翻訳家、早稲田大学文学学術院教授。訳書にベルンハルト・シュリンク『朗読者』(2000年毎日出版文化賞特別賞)(新潮社)、ラフィク・シャミ『夜の語り部』(西村書店)、ミリヤム・プレスラー『マルカの長い旅』(徳間書店)、エヴァ・バロンスキー『マグノリアの眠り』(岩波書店)、マーレーネ・シュトレールヴィッツ『誘惑。』(鳥影社)、セース・ノーテボーム『木犀!/日本紀行』(論創社)、著書に『誤解でございます』(清流出版)、『ドイツ北方紀行』(NTT出版)など。
※チケット代金は日本翻訳大賞のファンドレイジングに充てさせていただきます。

http://besttranslationaward2015.peatix.com/